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メンタルトレーニング

本稿は自動車雑誌連載記事です。

第28回 自未得度先度他

 前回は「仏典に学ぶコミュニケーション・スキル」と題して、四摂法について紹介し、「愛語」について少し解説を加えました。今回は三つ目の「利行」について説明します。
 道元禅師は大著『正法眼蔵』の中で、利行のことを次のように著しています。「利行というのは、相手の地位や身分に関わらず、多くの人に幸福な生活ができるような道を教えることである。…世の中の愚かな者は、他人の利益を考えると、自分の利益がなくなると考える。けれどもそうではない」(『全訳正法眼蔵』第四巻、p.362-370、中村宗一訳、誠信書房)。

 もう30年以上も前のことですが、私が指導者としてやっていく上でとても心が軽くなったことがあります。それは、「自未得度先度他」という禅の言葉を教えていただいたことです。「己、未だ渡らざる前に、まず他人を渡せ」。この言葉は、人を教え導こうというのならば自分が先に渡るのではなく、まず他人を渡す心を持たなくてはならないという意味です。
 「渡す」とは、こちら岸で迷い苦しんでいる人々を、向こう岸の悟りの世界、仏教では彼岸といいますが、そこに渡してあげることです。私たちスポーツの世界で言えば、スランプで苦しんでいる選手をなんらかの手だてで立ち直らせ、彼岸、つまり勝利や成功へと導いていくことになります。
 一般に、一所懸命に勉強したり練習したりするのは、自分が良くなりたい、向こう岸にまず自分が渡りたいと思うからではないでしょうか。それ自体は構わないのですが、少なくとも人を教え、導く道を歩こうと心を発こした人は、それではまずいと言うのです。
 また、コーチになりたての人のほとんどは、もっと勉強して経験を積んだら立派な指導ができると考え、自分の技量を伸ばすことに懸命になるものです。そうした努力はとても大切なのですが、それではどこまで向上したら人を渡すことができるというのでしょうか。

 私も30歳代前半まで、ずっとこう考えていたので、少しでも自分の技量を伸ばすことに明け暮れていました。ところがあるとき、「自未得度先度他」という言葉を教えていただき、びっくりすると同時にとても気持ちが楽になりました。
 ひとたび指導者となってしまえば、それが新米だろうがベテランだろうが、習う側にとっては頼るべき指導者であることには変わりがありません。生徒や選手からアドバイスを求められ、「僕はまだ勉強が足りなくてよくわからないんだ」というのでは困りものです。
 仏教のような悟りの向こう岸ではなくとも、勝利や成功という向こう岸に渡りたいと思って私たち指導者の所へやってくる人はたくさんいます。「自未得度先度他」を知るまでの私は、いずれは自分も名コーチにと思いつつも、まだまだ自分なんか…と一歩引いたていたように思います。
 それがこの言葉を知ってから、コーチとはとりあえず自分が持っているものを総動員して選手を向こう岸に渡すための限りを尽くせば良いと思えるようになったのです。
 たとえば、最初はたった一人を背負って川を渡ることしかできなくても、しばらくしたら、粗末なイカダのようなもので数人を渡せるかもしれません。用意できたものがあるなら、とにかくそれで渡そう。さらに何年か経ってコーチの技量が上がったら、今度はもっと立派な船で渡してやれる、そう思えるようになったのです。
 でもどんなに技量が上がってスイスイと向こう岸に渡せたとしても、コーチはそこにとどまってはなりません。選手を向こう岸に送り届けたらまたこちらへ戻ってきて、次の選手を渡す準備にとりかかる必要があります。コーチはいつまで経っても渡し守なのです。

 この原稿はケルンにあるドイツ体育大学で在外研究をしている頃に書いたものです。そこで今回は、ドイツが生んだノーベル賞作家であり、日本人にもたいへんなじみのあるヘルマン・ヘッセ著『シッダールタ』を紹介して終わりにしたいと思います。
 この小作品は、日本では岩波文庫に収録されています。書名からもおわかりのように、ヘッセはお釈迦様が出家される以前の名前を借りて、求道者の悟りの境地に至るまでの苦行や経験を描きました。今回の話と関連づけて読んでいただければ幸いです。

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