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メンタルトレーニング

本稿は自動車雑誌連載記事です。

第30回 ドイツからの第2報 “挨拶”

 私が勤める日本の大学では、卒業論文を書くため毎年5名ほどの3年生が研究室にやってきます。3年生と4年生、大学院生を加えると、多いときには研究室生だけで十数名になります。
 もう30年以上も前になりますが、私は大学・大学院を通じて研究室でたいへん厳しく鍛えていただきました。現在なんとかやっていられるのも、そのとき受けた教えのお陰だと思っています。大学の教師になってから今までずっと心がけてきたことは、私が教えていただいたように学生たちを教えようということです。

 大学の先生の中には、ご自分の研究室には学生を入れないという方もたくさんいます。しかし私の場合はまったく逆で、1年中ほとんど毎日のように研究室生と顔を会わせていますし、常時、何人かの学生が私の部屋にいます。
 3年生になって私の研究室生になると、途端にいろいろなことを身につけなくてはなりませんので、最初の1、2ヶ月はとてもたいへんです。「読み」「書き」「そろばん」から始まって(といっても21世紀版ですから、ほとんどがコンピュータを使ったものですが)、さまざまな実験や分析の手法など、いろいろあります。
 ただ、そうした専門的なこと以上に私が力を入れてきたのは、今、日本人がどんどん失いつつある日常的な生活の基本のようなことでした。挨拶、返事、笑顔、電話の応対、お茶の入れ方などです。そんなことを大学3年生になって教えるのかと思われるかもしれませんが、二十歳にもなっている立派な大人ができていないのですから、教えるしかないというのが私の考えです。

 そんな私がドイツで戸惑ったことの一つに、見ず知らずの人に対しても気軽に挨拶を交わす習慣があります。挨拶の大切さを日頃から学生たちに説いている私でも、それはちょっとはばかられるような気がしていました。
 たとえばエレベーターに乗っても、ドイツの学生たちはこちらが教授であろうが外国人であろうがそんなことはお構いなしで、にっこり笑いながら“Hallo”ですし、降りるときには、“Tschüs”(チュース、じゃあね)です。この Tschüs とう言葉は、もともと北ドイツの若者を中心に親しい間柄でのみ使われていたのが、簡単で響きが良いところから、今では全国どこでも頻繁に使われています。
 これは大学の中だけではなく、日常生活の至る所で見られる光景です。こうした中に数ヶ月身を置いてみると、礼儀を重んじる日本人が確かに挨拶をしなくなったし、したとしてもずいぶんぞんざいになったと思われてなりません。

 もともと「挨拶」という言葉は、禅の言葉から来ています。語源辞典などによれば、「挨(あい)」には「押す、背中を叩く、開く、押しすすむ」という意味があり、「拶(さつ)」には「責める、迫る、はさみつける、押しつける」という意味があります。両方ともに「押す」という意味があることから、禅宗ではこれらを並べて、弟子たちの悟りの深さを試すための問答のことを「一挨一拶(いちあいいちさつ)」といいました。さらに問答は「複数で押し合う」という意味ですので、それを日常生活にあてはめて、安否や寒暖の言葉を取り交わすお互いの儀礼をあらわすようになりました。それが後に略されて「挨拶」となり、おじぎや返礼のことも「挨拶」というようになったのです。
 私たちは、こうしたことをもう一度噛みしめてみなくてはならない時機に来ているのかもしれません。

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